昭和48年11月10日 関 実 霊神 三十年祭 ●② 大坪かよこ
御理解に頂きました様に、信心しておれば目に見えるおかげより、目に見えぬおかげの方が多いと、教えて下さるが確かにそうだと思うんです。もう気付かない所にもうどんなおかげを頂いておるか分からない。
先程中村さんが、あのお参りをして見えてあの、こうして目が悪いとどうこう言うておるけれども、考えてみるともう五体の方はもう、ひとっつもどうも無くて健康のおかげを頂いておるとこういう。
ほんなこっちゃんね、私がそうなんです。私は糖尿病で、丁度この昼の時間、此の時分が一番きつい時間ですが、私が糖尿病がこんなにあのきつくなる頃から、自分であのここ四、五日前から気付かせて頂いておる事は、神経痛の痛みが全然ない事です。
だからその糖尿病そのものはね、確かにあのですけれども、神様のご都合深いその御神意、御神慮と言う事を本当にあの中村さんが何時か目の事のお届けなさった時に、それよりか体の方が大事ばいと言う様な御理解頂いたが、もう目には見えんけれども、神様の働きて言う物は、今日の御霊様の場合でもそうです。
信心があれば、それこそ目に見えない、私共の目に見えない世界の先祖の御霊、それからなら、今日の御霊の御祭りを受けられる御霊様達の上に、目には見えないけれども、様々なおかげを受けておられると言う事がね、そういうおかげを受けておられる、そういう働きが、なにか知らん、あの例えば先程も、あの末永さんが、御寿司の注文をあの久留米にしてあったのが、配達が出来ないと言うて来た。
それであのなら、そりゃあーた、一時のあれにどんこん間に合わんめ、ばってんとにかく取りに行かじゃこてと言うてから、末永さんが自転車で大橋の、常持まで行った。してあそこでもう自転車を預けると同時に快速が来たから、快速に乗った。そりから向うへ行って、あの御寿司をもろうて、そしたらもう快速が来てまとった。それから常持まで乗って、自転車預けた所で、自転車で来た。
丁度一時間で、もう自動車で行ったちゃ、こんなにあのま、タイミミングの良いと言う事は無かろうけれども、やっぱっり是は関さんのやっぱ真心の祈りが、こげなおかげ頂いたっでしょうと言うてから、先ほど申しておりましたが。
成程あのそういう目に見えない所、例えばあの御霊様達がおかげを受けておられると言う事の印がそう言う風な中に現れて来るんじゃないかと、こうまだ今日の御祭りを仕えますまでに、色々今も私あの、お供え物が段々進んで行く時に、あの一番下のあの箱のお供えの時に、何か知らんけれどもこう、あの感じましたが、あの考えて見ると今日、あのひろこさん達が夫婦であの、親先生にというて、こと付けてくれたという、あれのお供えがしてある訳ですよね。
それをならやっぱりあの、その御霊様へと言う事じゃなかったけれども、やっぱ真心ですね。娘達の真心がやっぱりあの、ご霊前にお供えする事になっておる、と言った様な事なんか、考えて見ると、あれやら是やら、成程目に見えない御霊の世界、人間の世界からは分からない、お粗末にしても大事にしても、それはひとっつもそれでどうこうと言う事はないようだけどもです、実際はその様な働きがあっておると言う事をね。
今日私、あの神様へ御礼を申させて頂きよりましたら、今日是も御霊様、あの菊の花を頂いとりましたから、今日の御霊様にお供えしたらどうかて、私があの申しましたから、愛子がそんならちゅうてから、是入れた。
●② 沢山頂いとるけれども、沢山ちょっと少しばっかりですけれども、あの萩を切り合わせて、まああの一緒に盛り合わせて、あの花を入れてあります。是を頂くんですね、それが萩ていうのはもうあれは、まあ言うならば淋しい花、もう言うならばもう暫くすると、もうあの葉も散ってしまうと言う所、けれども萩だけでは淋しい。 けれどもあの真っ赤なあの菊と、黄ない色の菊とが、はあ是がとしこさんとあのお母さんの信心だと。真っ赤な菊の花が、沢山こう入れてある。あれがお母さんの信心じゃろ。
真っ赤と言う事は、信心のま熱情と言う事であろう、菊の花というのは、合楽の信心と言われるから、ま、差ほど熱心じゃなくても矢張り、娘のとし子さんの信心を、あの菊の黄色い花と真っ赤な花、で表現して下さっただろうと思うんですけれども、あの淋しい言わばあの萩の枝がですね、萩が返ってなんていうか、錦秋というかね錦、秋の錦を感じさせる様な、あの菊の花によって活かされたという感じがします。
今日の御霊様の、もう是だと思うですね。あなた方のご信心で、今日の御霊様がもういうなら、もうちょっと油断しとったら大変淋しい事になられるはずの所が、今日の真心込めてのこのお祭り、もうこの御祭りを仕えられるまでには、前々からちゃっと祈りに祈られ、願いに願っていられての、今日のお祭りですから、万事万端にお繰り合わせを頂いた訳ですけれども、そう言う様にその御霊様を活かす働きと言う物が、あの花の上に表れておると思うですよね。
ですからこう言う事が、あの信心しておれば目に見えるおかげよりも目に見えぬおかげの方が多いと、仰せられる。そういう目に見えぬおかげが、そう言う様なささやかなお祭りの形とか、そう言う風に節々に現れて来る事柄、なら例えば今日のお花の上んでも、是は現れておる。
是はもう唯氷山の一角であって、本当におかげを受けておると言う事は、とても私どんが、計り知る事の出来ないおかげを受けておると言う事をね、信じさせて頂く、そこにあの神恩報謝の心が湧いてて来る事が信心だと思うですね。
今日の御霊様の、私は喜びはあの、花の中に現して下さったと言う風に思います。おかげを頂いて有難う御座いました。